郡上八幡城の見どころ

Highlight

戦国時代末期に起源をもつ郡上八幡城は、幕末・明治維新の動乱を受け、全国多くのお城と同じように取り壊しとなりました。
その後、長らくは石垣だけが取り残された状態でしたが、昭和8年(1933年)に、未来に伝わる郡上八幡のシンボルとなるよう願いを込めて、木造の模擬天守が再建されました。
80年以上経た現在も、日本最古の木造再建城として、郡上の歴史を今に伝えております。

郡上八幡城の概要

Overview

名称 郡上八幡城(ぐじょうはちまんじょう)
別称 積翠城(せきすいじょう)、郡城、虞城(ぐじょう)
城種別 城 ※時代が下り城郭構造が変わり「平山城」として変遷
石垣 野面積み
標高 海抜353.95m 市街地より129.75m ※山頂見晴台付近
城創始年 永禄2年(1559年) 創始者:遠藤盛数
城創建年 永禄9年(1566年) 創建者:遠藤慶隆
天守 昭和8年(1933年)再建 模擬天守 [郡上市重要文化財] / 4層5階建 木造 / 天守規模:建面積118.98㎡ 延面積309.11㎡ 高さ17.18m
遺構 石垣等の城跡 [県指定史跡]
備考 続100名城(日本城郭協会指定)
※スタンプは天守1階に設置しております

文豪 司馬遼太郎を魅了した
美しい山城

Beautiful mountain castle

戦災消失前の大垣城を参考に昭和8年(1933年)に建てられた木造天守は、歩くとギシギシと鳴く床が歴史を感じさせます。木造ならではの趣をお楽しみください。
また、4層5階建ての天守内 1層から2層にかけては大胆な吹き抜けとなっており、他の城にはない郡上八幡城の魅力の一つです。

そして、空と自然に包まれて凛と建つ白亜の天守は「日本一美しい山城」とも称され圧倒的な存在感と美しさを放ち、郡上八幡の城下町をみまもっています。
かの文豪 故 司馬遼太郎氏も名著『街道をゆく』中で粉雪舞う郡上八幡城を訪れた際の感動を記しております。

山城ならではの絶景と“天空の城”

Beautiful mountain castle

戦災消失前の大垣城を参考に昭和8年(1933年)に建てられた木造天守は、歩くとギシギシと鳴く床が歴史を感じさせます。木造ならではの趣をお楽しみください。
また、4層5階建ての天守内 1層から2層にかけては大胆な吹き抜けとなっており、他の城にはない郡上八幡城の魅力の一つです。

そして、空と自然に包まれて凛と建つ白亜の天守は「日本一美しい山城」とも称され圧倒的な存在感と美しさを放ち、郡上八幡の城下町をみまもっています。
かの文豪 故 司馬遼太郎氏も名著『街道をゆく』中で粉雪舞う郡上八幡城を訪れた際の感動を記しております。

※吉田川を挟んで対岸にある「東殿山 展望台」や「国道256号線 堀越峠」等から、郡上八幡城を見下ろせますが、マナーやルールを厳守し鑑賞・撮影等をおこなってください。
特に堀越峠は、大変狭く見通しの悪いカーブの続く上下1車線ずつの大変危険な道です。路上への駐停車はご遠慮いただき、撮影の場合も十分に周囲に気を付けておこなってください。事故・トラブル等は自己責任となります。

奥美濃屈指のもみじの名城

Famous castle of maple

春の桜 夏の青モミジ の紅葉 の雪化粧 -
四季折々の表情を魅せる郡上八幡城。
城内の植樹のほとんどが「モミジ」の為、初夏から夏にかけての新緑・深緑や、秋の紅葉は圧倒的な美しさです。
特に、燃えるような紅葉が白亜の天守を包み込む様は「天守炎上」と例えられる程の紅葉絶景として人気です。

郡上八幡城 新緑まつり(5月)
郡上八幡城 もみじまつり、紅葉ライトアップ(11月)
※平均的な紅葉の見頃は [11月中旬] です

野面積の石垣

Beautiful mountain castle

郡上八幡城の石垣は戦国時代によく用いられた「野面積(のづらづみ)」という手法です。城を建造した遠藤慶隆に代わり、天正11年(1588年)に城主となった稲葉貞通(西美濃三人衆・稲葉一鉄の息子)の大改修の中で整備されたものが起源で、その後 様々な改修を経て今に残っています。
石垣を含む一帯の城跡は岐阜県の史跡として指定されています。荒々しい石垣から歴史に思いを馳せてみては。

郡上八幡城 所蔵品(一部紹介)

Collection

郡上八幡城合戦絵図 慶長5年(1600年) 関ケ原の合戦の前哨戦として繰り広げられた、遠藤慶隆と稲葉貞通による「郡上八幡城の戦い」の様子が描かれたもの。(複製 原本は臼杵市教育委員会所蔵)
金の弩標(きんのどひょう) 関ケ原の合戦等の褒賞として、徳川家康から拝した青山家に伝わる家宝。装飾された空穂(うつぼ-矢の収納具-)で、金張りに青山家の葉菊紋が描かれている。10万石の格式を示したといわれており、大名行列の馬印として用いられた。
遠藤慶隆 甲冑ほか 城や城下町の礎を築いた遠藤慶隆が、姉川の合戦で着用した実践用の甲冑ほか、井上氏・青山氏に伝わる甲冑を展示。